ミラーバジェットから弱いアナーキズムへ

「一人、一国家予算案」をストリーミング投票する

VECTION

2019.10.09

この文章は、講談社のWebサイトに掲載された二つの文章(第一回はこちら[https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66893])に続く第三回となるものです。元々一回の依頼だったのが長くなりすぎ、二回目までを講談社サイト掲載という形にさせていただきました。

これまでの経緯:

同時編集で同じ仕事を複数人で作業することには様々なメリットがありうる。しかし、完全な分業に比べ作業時間が多くかかる可能性がある。仕事量が調整可能なら問題ないが、すでに飽和気味だとすると、何らかの効率化が求められる。そこで、無意味な仕事が発生する原因を断つため、100%クラウドファンディング化政府という思考実験をしてみると、見えてきたのは、そもそも市場や人気によって測れないが、長期的価値のある事業(「市場の外部」)を、誰が、どう見分けるのか?という問いだった。

はたして、選ばれた人々による選択以外に識別の手段はあるのだろうか?

ここまでの話から「衆愚」や「ポピュリズム」といったネガティブな概念を思い浮かべる方もいるでしょう。

しかし、「自らをエリートだと思い、周りもそう認めるような人々の集団による愚行」が、20世紀の大きな物語たちに悲劇をもたらした原因なら、クラウドファンディング化された政府はその「大きな物語」自体へのパッチになりえます。

ここでNatureという自然科学の雑誌に2017年に投稿された面白い投票の仕組み(ここでは仮に「一致率投票」と呼んでおきます)を紹介します(A solution to the single-question crowd wisdom problem [https://www.nature.com/articles/nature21054])。

多数決による決定は、多くの場合「もっともらしい」とされるものですが、当然ながら誤りを含み得ます。この論文では、アメリカ人学生に「フィラデルフィアはペンシルバニア州の州都か?」と訊いた結果、「yes」が多数派となりました。

ところが答えは「no」(実際の州都はハリスバーグ)なので、多数決ではこの問いに答えられていません。知識や判断にはバイアスがかかっている可能性があるわけです。

多数決を補正する方法として、「自分の答えにどれだけ自信を持っているか?」という確信度を合わせてたずねるという方法も考えられます。しかし、論文の調査によると、先の問いに「yes」と答えた人も、「no」と答えた人も、自分の答えに対して自信満々で、確信度に差は見られませんでした。間違っている人は間違っていることに気づけないのです。

そこで一捻りし「他の参加者のうち何%の人がその質問にyesと答えると予測しますか?」という質問で、自分の意見と他人の意見との一致度も追加で訊くことにしてみました。例えば「フィラデルフィアはペンシルバニア州の州都か?」という問いに「yes」と答えた人は、(間違って確信しているので)当然他の人も「yes」と答えるだろうと判断します。ですから、一致率の質問に対しても高いパーセンテージを答えます。ところがこの問いに「no」という正解を答えた人は、この問題が、実は見かけより難しいことを知っているので、(皆間違えるだろうなと確信して)一致率の質問には低いパーセンテージを答えます。

筆者らによると、実際の投票と、他人の投票予測を使って、たとえ本当の答えが誰にもわからなかったとしても、「真実の答えに対する予測が、実際にそうである確率よりも常に低くなってしまう」という不等式を導きます。

また、これは多数決や確信度では導けず、他人の投票を予測して初めて導ける結論だといいます。

この事実を利用して、実際の投票結果より予想の方が低かった方、逆にいえば、予想より投票結果の方が高い割合を示した方の選択肢を「正解」として選ぶ(surprisingly popular algorithm)という方策が導けます(または、そのような意味を持つ補正をかけた予測正規化付き投票prediction-normalized voteも可能です)。

この方策は、フィラデルフィアの場合なら、少数派の知識を選び、そもそも誰も答えを知らないような答えの場合は単なる多数決を再現するので、多数決や確信度を入れた投票の正解率を常に上回ります。

つまり、一致率投票は、「他人が自分とどれくらい似ているか?」あるいは「正しいが、あまり知られていないことがある」という点まで投票することで、多数決が間違える時でも、全体の決定が間違えにくくなる、集合知のアップデート版です。

さて、ここで一致率投票の話をしたのは、「集団の意思」を反映する仕方は、現状の「選挙」、つまり『天候やフェイクニュースに大きく左右される「決まった日時の紙による人間に対する投票」』だけではなさそうだ、という例を出したかったからです。

一致率投票の方法が興味深いのは、「多様性がある集団は相当賢く振る舞う場合がある=集合知」という考えを、制度によってパワーアップさせる可能性や、そもそも「賢い人」を何らかの仕組みで制度的に固定しなくても良いのでは?という状況を垣間見せてくれることです。

あるいは、ひとが「衆愚」という言葉を使う時、無意識のうちに、ある特定の投票システム・集計の仕方、つまり「集団が衆愚に至ることに対し無防備な仕組み」が前提とされています。

「クラウドファンディング化された政府」が「市場の外部」をうまく扱えるか?という問いは、そもそもどういう風に意見を集約するのか?という、これもまた制度に関わる別の問いから切り離せません。

では、具体的にどんな集約制度が考えられるのでしょう?

ストリーミング予算投票としてのミラーバジェット

たとえば、VECTIONで、先の原稿『政府は何%までクラウドファンディングだけで運営できるのか?』[https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67614]に出てきた「政府のクラウドファンディング化」と相性が良さそうだと話していた集計制度が、これも話し合っている時に出てきた「ミラーバジェット」というアイデアです。「ミラーバジェット」は、「ミラーワールド」という概念から名前を借用していますが、もともとVECTIONで「80億貨幣」と呼んでいたこともある暗号通貨的な仕組みを応用した投票システムです。

「ミラーワールド」というのは、いわば拡大された『ポケモンGO』みたいなもので、世界に実際に存在するありとあらゆるオブジェクトの「ネット版=ミラーワールド」を作り、それを皆で共有して、色々役に立てようという構想です。

一方、「ミラーバジェット」は、いわばそれの「国家予算」版のようなものです。ミラーバジェット制度では、国民は「(選挙など)散発的なイベントごとの投票権」の代わりに、一人一人が「ミラーバジェット専用の暗号通貨100兆円分」を与えられます。日本を例にすると、最初から一億二千万人分の暗号通貨ウォレットがあり、国民それぞれのデジタルウォレットに「(日本の国家予算のうち一般会計分である約)100兆円」分の暗号通貨が入っているわけです。これを「ミラーバジェット」と呼びましょう。

そして、そのミラーバジェットを、どのような政府企画に投資するのか、各個人が勝手に決めます。その値はブロックチェーンを通じて自動集計され続け、ある時刻での「政府予算」が連続的に決定されていきます。それによって、予算の決定権を誰も持たず、しかも間に人が入らないで自動的に予算案が決まっていくのがポイントです。

もちろん、ミラーバジェットは、「ミラー」なので、現実の予算配分とは別物です。しかし、それがバージョンアップしていき、皆が積極的に「僕だけの最強の予算配分」を実行していけば、いつかは現実の予算配分に転換できる詳細性は持ちうるでしょう。

現行の選挙制度で議員を選出した場合、その議員を通じた有権者の意思決定は、多くのケースで、最終的に「どの企画にどれくらい予算を投じるか?」という形へ落とし込まれます。だとすると、選挙というのは「議員を選ぶというインターフェース」を使った「特殊な(国民による)予算作成」です。

そう考えると、ミラーバジェットは、暗号通貨やウォレットという点からアイデアを得ていますが、お金というより、「投票用紙」がバージョンアップした、「ストリーミング予算投票」みたいなものだといえます。

ミラーバジェットと「全ての人が参加したディテール」の持つ力

現実の予算案として実行されないなら、ミラーバジェットは、政府の事業案一つ一つに「いいね!」や「いるの??」をつけて回るのとどう違うのでしょう?選挙という周期的イベントで一票を投じる代わりに、予算案を連続的に提示し続けるミラーバジェットは、国民が選ばれた人の力を借りずに「市場の外部」を見つける力を増してくれるのでしょうか?

個別事業への賛否とは違い、ミラーバジェットでは、それぞれの人が「個人」であると同時に、(その人の作った)予算配分全体=「政府」でもあります。つまり、個人的な好き嫌いだけではなく、「(自分の)国家予算案という全体」や「皆の国家予算案を集計した全体」も同時に見ざるを得ません。

ここで「個人」かつ「全体」ということが重要です。

「r/place」という遊びがあります。

https://www.youtube.com/watch?v=XnRCZK3KjUY

ピクセルを描けるキャンバスをネット上の不特定多数で共有し、誰でも好きな場所に一度に一ピクセルを置いていいというルールで絵を描くのです。

特に「何かをしてはいけない」ということはなく、「何かをしろ」という指令もないので、直感的にはカオスになってしまうように思えます。

しかし、動画をみればわかるように、実際にはカオスとは程遠い様々な絵柄が共同で描かれていきます。面白いのは、明らかに破壊を意図した勢力が、絵をノイズや汚いもので塗りつぶしていくのに対し、同時に対抗する勢力が出て、それを防ぎ別のものに変えていく、というプロセスがはっきりと図柄に現れることです。

r/placeで前提になるのは、全体=キャンバスの絵柄を、全ての参加者が「一枚の絵」として把握・予期していることです。そうでないと、どんな破壊が起きているのかすらわかりませんし、また協力して絵を描くこともできません。さらに、全体の進み方に対するある程度の予測が無いと、驚くべき「破壊」や自分の予測と違う行動をする集団の出現がそもそも「驚くべきこと」であることに気づくことすらできなくなります(r/placeについては、『r/place的主体とガバナンス – 革命へと誘うブロックチェーンとインターフェイス』[http://ekrits.jp/2019/03/3046/] に、もう少し細かい説明があります)。

r/placeのキャンバスと、ミラーバジェットの個人別国家予算(の集計されたもの)には類似性があります。

r/placeでの「破壊」は、ミラーバジェットで、明らかに違和感のある(自分の考えと違う)、集計された予算の偏りとして把握できるでしょう。それに対するアクションは「自分の予算配分を変える」ことです。

ミラーバジェットでの「国家予算案」がr/placeのキャンバスと同じく「全体を把握する一枚の絵」になり、それが衆愚あるいは自滅を自律的に防ぐ秩序を出現させる。そのようなことを期待できるのではないでしょうか。

この文章を書いている時点で、ここの部分には証明はありません。ただ、ミラーバジェットの「予算案」は、恐ろしく複雑化し、短期的・局所的視野で忙しくなった現代社会で、全体を把握する地図になりうるインターフェースだとは思います。ミラーバジェットはストリーミング予算案であると同時に、「全体の地図」を描き出すべく拡張された「投票用紙」なのです。

ミラーバジェットでストリーミング集計され続ける予算が「衆愚」なのか、それとも「あとは実行を待つだけの集合知」なのかは、結果をみるまでは分かりません。が、何しろ「ミラー」なので、実行する前に色々実験もできますし、全体を意識することが果たしてどの程度衆愚を防ぐのかについて、もっと突っ込んだロジックや検証を作る余裕も生まれるでしょう。

一致率投票とミラーバジェット

全体の中で自分の位置付けを意識しながら投票=予算配分していく点で、ミラーバジェットは、先に触れた一致率投票と融合できるかもしれません。もし「各自の作ったミラーバジェット内予算配分の仕方」を「ある特定の選択肢(=予算配分)への投票」(あるいは、個人の持つ、世界に対する視点)とするなら、「その予算配分がどの程度少数派か予想」もついでに入力してもらうことで、一致率投票とのマッピングができるからです。

そして、「予想した少数派」度合いを用い、予算案に重みをつけて集計し、それを全体の予算とします。ただし、このままだと「無意味に少数派のふりをする操作」ができてしまうので、一定期間内で「予想した隔たり」と「実際の隔たり」の精度に応じたボーナスをインセンティヴにして、自分を過剰に少数派だと報告するチートを防ぎます。

また、このボーナスは「正直に投票し、予想するのが一番その人にとって特になる」ように決めます。決め方についても一致率投票論文の著者らがすでに与えています(たとえば Measuring the Prevalence of Questionable Research Practices With Incentives for Truth Telling [https://doi.org/10.1177/0956797611430953]など。著者が無料でpdfを公開しています)。

さらに、ミラーバジェットの予算案は個人ごとにそれぞれ微妙に異なるはずなので、何らかの仕方で類似性を持つように処理する必要があります(=「埋め込み」)が、これについても様々な技術が知られていますので、すでに方法はたくさんあります。

むしろ、課題になるのは、この埋め込み手法を公正にすること、その公正性が劣化しないように保つことでしょう。予算の類似性の作り方が、「実際に少数派であると判定されるか否か」に影響するからです。

公正さを保つために、数多くの埋め込み手法をランダムに選ぶ、などは素朴な方法ですし、その劣化は、たとえば、開発者がランダムと言いつつ実は結果が歪むように手法選択するプログラムを仕込む、などです。これはとても重要な課題で、その対策については、すでにVECTIONで長い考察をしているので、別の機会に報告したいと思います。

もし、ミラーバジェットと一致率投票の融合がうまくいくなら、ミラーバジェットは「長期的視野をもつ選ばれた人」無しに、「長期的視野をもつ市井の人」の視点を取り入れることで、市場の外部への目配りも効いた予算になりうる可能性があります。

さて、かりに、ミラーバジェットから導かれた予算案が優れているように見えるとします。ミラーバジェットは単なる予算案なので、実行する強制力はありません。その場合、「すぐにでも達成可能な改革=予算の詳細があるが、単に実行されていない」という具体例が、すでに示されていることになります。「どうすればいいのかは、選ばれた誰かが後で考える、もしくは制度が変更された後で考える」場合と、どちらが良いのか問うときの、説得力や希望の強さが変わっていくことでしょう。

また、実際の政府予算と、十分な参加者のいるミラーバジェットが大きく乖離した場合、そもそも政府は誰のためにあるのか?という問題が否応なく生まれるでしょう。ミラーバジェットは詳細であるがゆえに、お祭り気分を演出して逃れられる選挙とは違い、具体的に答えを迫る力を持ちうるからです。

同時編集の気分から弱いアナーキズムへ

と、ここまで書いてきましたが、いきなり「政府のクラウドファンディング化」や、さらに進んで「ミラーバジェット」といっても意味がわからず、実感も湧かないでしょう。

しかし、『日本人の不毛な働き方を激変させる?「同時編集」を私が薦める理由』[https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66893]で触れた同時編集のような行為が社会的常識になったとします。すると、そこで生じる気分は、かなり多くの仕事が「上からの指導」なしでもできる、という感覚を芽生えさせるのではないしょうか。

その時、人々が、「政府自体も分散的に同時編集できる」という気持ちを持ってもおかしくありません。つまり、政府のクラウドファンディング化やミラーバジェットは、「政府」を対象とした同時編集用インターフェースなのです。

整理すると、同時編集の気分を共有→政府のクラウドファンディング化範囲の拡大についての現実感が共有される→ミラーバジェットを実際にやってみる→実際の政府予算編成とのズレに耐えられない人が数多く現れる。

という流れで、ボトムアップ的な気分の変化を伴ったかたちで制度を変えよう、という発想です。

同時編集やミラーバジェットが、暴力革命、業界団体による圧力、議員を国会へ送ることを通じた民意の反映、といった古典的方法論に比べてどれくらい優位なのかは正直まだ分かりません。しかし、それがブロックチェーンやAI、同時編集など、様々な技術基盤がないと、そもそも構想すらできなかった(技術的基盤によって新たに可能になった)「まだ試されていない大きな物語」の一つであることは確かでしょう。

・・・とういわけで、単なる共同作業の仕方から大風呂敷を広げてみましたが、起点になるのは同時編集のもたらす、「個人から抜け出た気分」です。

昔、アナーキズムという思想がありました。「無政府主義」と訳され、「何か(暴力的で)恐ろしい人の目指す理想」という意味で大抵は使われます。しかし、本来のアナーキズムは、「民衆のために作られたはずの政府がもたらす圧政」という逆説に抗おうとした人々が、自由を求めて始めた運動でした。そのわかりやすいキャッチフレーズが「無政府」だったわけです。

しかし、アナーキズムは自由を絶対視したため、やがて「命よりも自由を」という別の不自由さに取り込まれていき、衰退します。また個別・局所の活動がどう全体に繋がっていくのかという方法論もありませんでした。

「政府のクラウドファンディング化」や「ミラーバジェット」は恐らくアナーキズムの子孫です。そこで目指されているのは、やはり本来、民衆のためにある制度が、自己目的化して人々を圧するものとして振る舞うのを防ぐことですし、そこに現れるのは、やはり一種の限定的な「無政府」だからです。

(ここで「限定的」とは、国防や外交など、現時点ではクラウドファンディング化が困難であろうと考えられる領域が依然として残るからです。)

ただし、「政府のクラウドファンディング化」にはアナーキズムのような「迫力」「自由のために死ね」と迫るような気合いはありません。ただ、GoogleDocsで文書を同時編集してみたら、と言ってみるだけ、その延長線上にあるものです。

とはいえ、通常の業務フローから外れたことをしようと言い出すのは、今の日本でとんでもなく面倒なことです。全員が無意味だと知っている仕様書を何千枚でも書くのが大人というものだと信じる人の説得は、できれば避けたいと多くの人が思っているでしょう。

同時編集を始めるのに伴う面倒臭さに逆らう努力。地味ですが、実際に世界を変えるのは、すでに歴史に組み込まれ、対策も熟知されたデモでもなく、投票でもなく、そしてテロでもなく、新しい方向の地味な努力なのではないでしょうか?

革命に必要なのは、日常に浸透したアナーキズム、迫力がなく、弱いアナーキズムなのです。